昨日、ほぼ日を見たら、ダーリンがこんなことを言っていました。
https://www.1101.com/home.html

<以下、ほぼ日刊イトイ新聞から抜粋>
信じるということのむつかしさを感じている人は、
どれくらいいるものだろうか。
まず、信じることなんてできないと思う人なら、
それについてのむつかしさを感じることもないだろう。
信じたい、信じるべきかもしれないと思いつつ、
なかなか信じられない人が、むつかしさを感じている。
ぼくは、そういう人はけっこう多いのではないかと思う。

「きみを信じているよ、しかし、
万が一のこともあるから担保を準備してくれ」は、
信じているということなのか、そうでないのか。
「信じているけど、ほんとうのことを言って」
という人は、信じているのかいないのか。

<抜粋終わり>

このことは、最近私が考えていることと
ドンピシャでした。
世の中、人と人との繋がりの中で
相手を信じるという前提で成り立っている物事は多いですね。
多い、と言うより、ほぼ全てがそうであるといっても良いでしょう。
「信用」というのは相手を信じることだけど、
裏側をちらりと覗いてみると、
その人が持っているお金の量だったり、
過去の実績だったり、現在の有名度だったり、
そういう「裏付け」があるのが前提で、
結局は「信用=取引」なんだなぁって。
「信用取引」って言葉もありますもんね。

ということは、信用って言葉の中には
「裏付けのないやつは信じないよ」
という意味も含まれているわけで、
そう考えると、信じるって何?ってなって、
頭の中が悶々としていたわけです。

信用より信頼

「信用」と似た言葉に「信頼」があるけど、
「信用」と明確に違うのは
「信頼」は担保などの裏付けを必要としないことです。
無条件に相手を信じること何だと思います。
だから、もしかしたら相手に裏切られるかもしれません。
裏切られるかもしれないけど、自分は相手を信じる。
「信頼する」ことは「信用する」よりずっと難しいことです。
「信頼される」ことはもっと難しいかもしれません。

でも、やっぱ自分は人を「信頼する」人間になりたいし、
「信頼される」人間になりたいです。
なかなかに難しいことですけど(笑)

無条件で人を信じるって、神の領域ですもんね。
でも、心がけとして、この気持ちは持っていたいと思うのです。


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今日もお越しいただきありがとうございます。
「○○信用金庫」じゃなくて「○○信頼金庫」ってのがあったら好きになりそう。

今回は以上です!

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