チバナチバナ

トライアスロンコーチのチバナです。今日は私がまだ初心者だった頃の話しです。

何も知らなかった初心者のころ

私がトライアスロンを始めたのは20年前、1997年でした。
ゼロから始めたので始めた当初はどんどん上手くなっていきました。
1年目に出場した村上国際トライアスロンでは後ろから数えたほうが早い順位、
その次の年は150位くらい、その次はなんと40位くらいまでになりました。
ですが、そのあたりで記録が伸び悩んできました。
鳴かず飛ばずの記録で、怪我したりして、数シーズンが過ぎました。
そのころになるとレース会場でいつも出会う選手と仲良くなり
情報交換をするようになりました。
で、アドバイスしてもらったのが、コーチングサービスの存在です。
プロ選手や元プロ選手などに練習メニューを作ってもらい、
それを実戦し、悩みや質問などをメールでやりとりするというものです。
こちらは雑誌などで知っているけど、直接会ったこともない人から
練習メニューを作ってもらう。
そんな発想は自分にありませんでした。
スポーツって専門のコーチが直接教えるもんだと思ってましたから。
「そんなんでほんとに大丈夫かな」
と半信半疑でしたが、
どうしても上達したかった私は清水の舞台から飛び降りる覚悟で申し込みました。
といっても、目玉飛び出るほど高価ではなかったですよ(笑)

竹内鉄平プロとの出会い

 
ネットで調べるとコーチングをやっているプロ選手は複数いて
すぐに探すことができました。
それこそ、高価なサービスからリーズナブルなものまで、
正直どれが良いのか分かりませんでした。
個人的に思い入れのあるプロ選手もいませんでしたし。
 
なので、レース会場で教えてくれた人もやっているという
竹内鉄平プロのコーチングサービスを申し込みました。
今だから話しますが、当時、私は竹内鉄平というプロ選手を知りませんでした。

しかし、今はコーチングをお願いしてほんとに良かったと心から思っています。
私の仕事や生活スタイル、居住地の気候などを考慮して
私だけの練習メニューを考えてくれました。
目標レースに向けての「期分け」「アイアンマンラダー」
いまでは当たり前になったけど当時は過渡期だった心拍トレーニングも
積極的に取り入れた竹内メソッドにより
伸び悩んでいた私の記録も再び伸び始め、
ついには佐渡国際トライアスロン年代別優勝
七尾湾岸トライアスロン総合3位などを収めることができました。
そしてついにアイアンマン70.3セントレアにて
世界選手権の出場権を獲得するにまでなれたのです。
 
大人になるまでスポーツというスポーツをやったことのない私にとって
これは大きな喜びでした。
 
人間、多少の才能の差はあるけど、
やり方しだいでレベルアップできるんだ!身をもって感じました。
 
竹内メソッドはたくさんありますが、
基本的には「やり過ぎない」「燃え尽きない」「休養の重要性」を軸に
「楽しく」「1年後、3年後、5年後の目標を明確に」
という内容の練習メニューでした。
メールでのアドバイスもこちらの質問の趣旨を良く理解してくれました。
何より、プロ選手、言わばこの競技における一握りのエリートでありながら
一般アマチュア選手の気持ちを良く察してくれたことがありがたかったです。

今も自分の根っこは竹内メソッドが

 
今では竹内メソッドを私なりに改良した「チバナメソッド」で、
自分で考えて練習していますが、
竹内プロとは今でも交流があり、大変お世話になっています。

私がトライアスロンを含む持久系スポーツのトレーナーとして
生徒さんに伝える「チバナメソッド」の根っこの部分には
竹内プロの魂が受け継がれています。

何にも知らない素人に、トライアスロンのなんたるかを教えてくれた竹内鉄平プロ。
私の人生を大きく変えてくれた人間のトップ3に入ります。
もう2人は誰かって?
1人は私をトライアスロンに誘ってくれたM選手、
もう1人は・・・奥さんかな。

竹内鉄平さんが代表を務める「(株)トライアーティスト」のサイトはこちら
http://teppei.asutama.com/
 
 

今回は以上です!
はちゃの!

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